三条会アトリエを開設したのは、2005年のことだった。今から9年前、僕は33歳だった。それまで三条会の稽古は、千葉大学の学内で行っていた。さすがに気恥ずかしくなってきて、どこか別のところで稽古がしたいなと思い、手っ取り早く自分たちでアトリエを持ってしまえと思ったのが、開設の動機だった。
足を使って物件を探しても良いものに出会えず、インターネットをちらっとみたら、格安の物件があった。劇団員に「こんな物件があったよ。」と伝えたら、翌日に榊原君が、「下見に行ってきました!」と言った。「えっ?」と僕。彼は続けて、「いいですね。あそこ」と笑顔で言った。その時、びびっていた僕の覚悟も決まって、不動産屋に賃貸契約に行った。
維持の仕方を劇団員で話し合ったところ、みんなでお金を出し合って維持して行こうということになった。当時、劇団員が辞めてしまうなんてあまり想像してなかった。お金を出し合っていた人が一人やめ、二人やめていく。そんなとき、僕はどうすれば良かったのだろうな。いい格好したい僕は、自分の負担を増やしていった。そのことが良いことであったかは分からない。強いて言えば、最初に劇団員と負担を分担した僕が間違っていたと思っている。
他団体に貸し出さない。あくまでも三条会専用のアトリエということにこだわった。9年間、三条会の多数の作品の創作の場だったし、実験的な意味のアトリエ公演も多くやってきた。榊原君と橋口君が稽古中、勢いあまって壁に穴を空けたこともあった。アトリエ公演といいつつ、僕と大倉さんの結婚式みたいなことをしたこともあった。2011年3月11日には、すでに退団していた中村君とそのときなぜか千葉にいた羽鳥嘉郎君、岸井大輔さん、花上直人さんの5人で夜明かしした。でも、一番記憶に残っているのは、やっぱり直近のことで、『三条会のゼチュアンのぜんにん(善人)』をここで創作したことだなあ。
本当に書きたくないのだけれど、このたび、千葉市中央区本町にあるこの三条会アトリエを終わりにします。劇団を終わりにする気はさらさらありません。だから、新たなアトリエをまたどこかで開設するかもしれません。今後とも応援よろしくお願いします。
また『ひとりごけ』の上演はあくまでもギャグであり、三条会はひとりにはなっていません。三条会アトリエの終演の演目として選んだ、ただ誰にも見せたことのない僕の持ちネタです。お楽しみに足を運んでくださると嬉しいです。よろしくお願いします。こけるときはひとり。