ガリバー旅行記の上演にあたって(稽古前)

 

三条会の1年ちょっとぶりの新作です。これだけ間が空いて、作品を作るのは初めてなので、少々緊張しています。

この作品には、犬が出演します。そして、人間も出演します。

この演目にした理由は、犬と暮らすようになってから、よく犬と共に散歩に行くようになったからです。道中、さまざまなことやものに、興味を持つ犬を見ていると、犬の散歩は、犬にとっては、ガリバー旅行記みたいなものなのかもしれないと思ったのです。私も旅行に出たくなるのですが、犬と一緒にいける旅行は限られてしまうのは、面白い矛盾です。

上演にあたっては、原民喜の翻訳による『ガリバー旅行記』を扱っています。風刺に満ちたこの小説は、月並みな言葉で言えば、今の日本にも通じるところがあります。でも、私は、今の日本のことをあまりよくわかっていません。安易な批判よりも、人間を美しくバカバカしく自由に描くことができればいいなと思っています。はちゃめちゃにね。お楽しみに!

 関美能留

 

 

ガリバー旅行記の上演にあたって(稽古中)

 

 三条会では、クリエーション期間と稽古期間を分けている。クリエーション期間は、私の家でこたつに入りながら、みんなでああだこうだ話し合いながら決定していく作業。稽古期間は、稽古場を借りて、体を動かしながら、決定を覆していく作業。そんな感じだ。で、ガリバー旅行記のクリエーション期間が終わった。やばい。抜群に面白い。
 ところで、 ガリバー旅行記の作者であるスウィフトのほかの作品に「奴婢訓」がある。これを原作として、その昔、寺山修司が上演したらしい。タイトルの通り、召使いの心得が書いてある。冒頭は、こんな感じである。「御主人の呼んだ当人がその場に居ない時は誰も返事などせぬこと。お代りを勤めたりしていてはきりがない。呼ばれた当人が呼ばれた時に来ればそれで十分と御主人自身認めている。」これ、面白いですか?
 ところで、私は犬を飼っている。ご主人様は犬なのか私なのかすでにわからない。犬を犬と呼ぶことはできない。適切な言葉が見つからない。飼うという言葉にも違和感がある。対等な関係を目指しているのだが、私が「一般的に犬と呼ばれている動物に飼われている」関係が収まりがいい気がするけど、これ面白いですか?
 ところで、ナチュラルチーズとプロセスチーズは、どちらが好きですか? 演劇ってライブなものなので、ナチュラルを押し出した方がいいですか?それとも加工された作品の方が見る価値ありますか?
 ところで、三条会のガリバー旅行記のガリバー役は、向坂達矢くん。今年の正月に解散した劇団京都ロマンポップの代表だった人だ。京都には、三条会商店街という商店街があるらしい。私が20年前に三条会という劇団名をつけたのは、向坂くんが京都から東京に来ることを予言してのことである。ということで、お楽しみに。

関美能留

ガリバー旅行記の上演にあたって(稽古後)

 

今回、三条会のホームページに「稽古前」と「稽古中」という私の文章を載せた。ここでは、「稽古後」というか、作品がある程度出来上がった段階での文章を書こうと思う。

作品創作が佳境になると、私は考え事が多くなる。電車に乗っていて、よくパソコンが入ったカバンを置き忘れる。駅員さんに問い合わせてもらうと、大体見つかる。おかえり。僕のカバンも1人でよく旅をする。でも、これが本当に私のカバンなのかは、少しわからなくなる。

三条会では、2年くらい前から、劇団員にトキコという黒柴犬を迎えて、犬が出演する作品創作を模索している。当たり前のことだが、困難もあるし、良いこともある。

 1. 人間よりも犬の方が、健康等の理由により、本番当日の降板の可能性が高い。

 2. 犬を連れ込んでいい稽古場を、今のところ見つけることができない。

 3. 犬が出演するのをかわいそうだという人が、いるかもしれない。

 4. 犬が出演するというと、興味を持ってくれる人がいる。

 5. 犬はかわいい。

ざっと、こんなところだろうか。これらのことを踏まえて、作品作りをしたつもりだ。武田泰淳の『ひかりごけ』のように、人間の原罪について、考える作品になってしまったかもしれないが、私としては、楽しんで見てもらいたいと常に思っている。余談ではあるが、トキコが旅に出て、帰ってきたときに、トキコであることが本当に私にはわかるのだろうか。

 

今回の『ガリバー旅行記』の作品創作も旅行のようなものだった。俳優たちとどっちに行くとかどこに行くとか話しあいながら作品を作った。私は、旅行の隊長のようなもので、いつもの三条会より、私の指示は少ないと思う。指示が多い旅行は、面白くない。上演には、いろいろなアイディアが詰まっているが、俳優が考えたアイディアなのか、演出の私が考えたアイディアなのかが判別しにくくなっていると思う。繰り返しになるが、私も俳優もこの三条会のガリバー旅行記という作品自体の旅に出た。ってことは、私も俳優もどこかに帰ったときには、誰かにとって、私が私なのかどうかわからなくなるのではないのだろうか?それは、面白いことなのだろうか?

関美能留